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有福正志

出演スケジュール

プロフィール

有福 正志 Arifuku Masashi

<テレビ>
2016 TX「ヤッさん」
2016 NHK「未解決事件File.05ロッキード事件」

<舞台>
2016 ウォーキング・スタッフ プロデュース「三億円事件」
              第24回読売演劇大賞優秀作品賞 受賞

<映画>
2016 「怒り」

鹿児島の工業高校で建築を学んでいたにもかかわらず、クレージーキャッツやコント55号のようなお笑いにあこがれ上京。建設会社に就職し、団地の建設に関わっていたが…
ある日、建築現場に落ちていた新聞で某児童劇団の青年部の研究生募集の記事を発見。
その頃は、ほとんど情報がなく訳もわからず入所。
昼は建築、夜は研究生の二足のワラジの生活がはじまる。
その後、養成所を転々とし、自由劇場に出会う。
当時、柄本明・ベンガル・綾田俊樹・スーパーカンパニーの皆さんが出演していた。そのエネルギーと面白さに圧倒されて受験。1967年、何故か合格。
これで柄本さん達と芝居ができると思ったのも、つかの間、私が入団したら退団して東京乾電池をつくってしまった。
アララ…。
そして、アンダーグラウンド自由劇場からオンシアター自由劇場となり作品も少しずつ変わっていく。
初舞台は〝幻の水族館〟(`76年)という芝居の〝魚〟役だった。

そして、囚人やチンピラ等を経てだんだん役がもらえるようになり、印象に残っているのは〝もっと泣いてよフラッパー〟(`77年)のコミ帝国の皇太子の役で、芝居をするなと言われて悩んでいたら、大先輩の笹野さんから〝ただフッといる感じでやったら〟といわれ、なんとなくつかめた感じがして表現の幅もひとつ増えたような気がしてうれしかった。

そして、譜面も読めないのにウッドベースをやれといわれ、教則本で勉強したが、ほとんどイメージだけで弾いていた。その流れで〝上海バンスキング〟(`79年)でもウッドベースの担当になった。当時、劇場にあった古いベースは弦もボロボロで良い音が出なかったが、ある時、吉田日出子さんが冗談で〝新しい弦を買ってよ〟って和田誠さんに言ったらしく、新しい弦をプレゼントしてもらった。張り替えたらいい音がしてうれしかった。
なんて…やはり思い出深い作品だ。

〝夏の夜の夢〟(79年)という芝居ではロバにされてしまうボトムという役だったが、小道具(発泡スチロールの細工)の天才、大谷亮介が初日の朝までかかってつくってくれたロバのかぶりもの。しかも、自転車のブレーキのワイヤーを背中から回し、ポケットの中で操作するとロバの口が動く仕かけになっていた。 今、思い出しても感動する。ほとんどの物を手作りしていたわけで…芝居のラストでブラックライトの中で花が除々に開いて、最後は舞台いっぱいになるのだが…
それも手ぐすを除々にゆるめていく仕かけなのだが…
出番が終わった後もそのシーンを表階段の入口から見ていた。
まあ、その時、観た人の記憶の中にしかないわけだが、それが芝居の良い所だと思う。
芝居のしの字から教わった自由劇場も〝上海バンスキング〟の日本中を廻った旅公演の後、1984年、退団する。
気がつけば9年在籍していたことになる。
思い出せばシェークスピアも多くやっていた。〝リア王〟(`77年)〝ハムレット〟(`78年)〝マクベス〟(`83年)等、自由劇場らしいシェークスピアだった。

退団したものの何のあてもなく路頭に迷っていた。
そんな時、同じく退団していた大谷亮介が何もやっていないのも不安だからと公共施設を借りて〝アンドロマック〟という台本を上演するあてもないのに皆で集まって本読みをしていた。
その後、原田宗典氏と大谷が出会い1年後に本読みをしていた〝アンドロマック〟を題材に芝居を書いてくれた。それが〝愛は頭にくる〟(`86年)という芝居でこれが東京壱組の旗上げの公演となる。
その後、またまた大谷が放送作家の吉田秀穂氏と知り合い〝大漫才〟(`87年)を上演。
原田氏のシリアス物と吉田氏のちょっとせつないコメディーを交互に上演することになる。

原田作品〝幸せの黄色くもない石〟(`87年)〝箱の中身〟(`91年)〝分からない国〟(`95年)

吉田作品〝石鹸王国の話〟(`88年)〝青春はエレキだなんて言っちゃってお父さん〟(`90年)

等々、想い出深い。

自分の中で劇団活動がちょっとマンネリの感があり退団。
気がついたら7年の月日が流れていた。

劇団活動はもういいかなと思っていたが、芝居を演じる場を失っていたそんな時、加藤健一氏に声をかけてもらい、はじめてプロデュース公演に参加した最初の作品が〝ラン・フォー・ユア・ワイフ〟(`93年)という芝居だった。
とにかく他流試合だといきごんでいたら、今までの芝居を全て否定された。それまでは表現過多な位、表現するのが芝居だと思っていたところがあり、悩んだ。
演出の綾田俊樹氏によけいな事はするなと言われ、感じてセリフを言うだけ余計なリアクションはしないことに気づかされた。その事がわかった時は目からウロコだった。自分の芝居のスタイルが変わった気がする。
大いに感謝している。

加藤健一事務所の公演〝三人姉妹〟(`93年)〝レンド・ミー・ア・テナー〟(`96年)〝すべて世は事もなし〟(`01年)〝木の皿〟(`03年)〝エキスポ〟(`06年)〝川を越えて森を抜けて〟(`09年)等々…

2004年、東京壱組以来再会し、吉田秀穂氏の半分商業演劇のような井上順さん、愛華みれさんらと〝1954 ホテルライフ〟(`04年)

布施明さん、絵麻緒ゆうさんらと〝42丁目のキングダム〟(`05年)
劇団の芝居とはひと味違った感じで面白かった。

自由劇場の大先輩の岩松了氏の演出で〝三人姉妹を追放されしトウゼンバフの物語〟(`02年)という芝居で千本ノックのような稽古が懐かしい。

永井愛さんの〝空の耳〟(`92年)〝パパのデモクラシー〟(`95年)
女の演出家らしく細かい部分にこだわった演出だったなぁ

和田憲明氏の演出で〝12 twelve〟(`07年)久々に細かい演出で苦労したが、また参加したくなる不思議な演出家だ。

映像では今は亡き市川準氏のCMで〝ホールス〟で使ってもらい、それから10年後に映画〝東京夜曲〟(`97年)に呼んでもらい感激。不思議な縁に感謝。

また今は亡き久世光彦さんにも色々と呼んでいただいたが〝男どき女どき〟(`88年)という作品でダンスホールでホステスの胸に顔をうずめて踊っている客の役だった。
〝セリフはないが、これから時代が変わっていくことの象徴的な役です。よろしくお願いします〟と台本に手書きで書いてあり感激した。今でも宝物です。

これからも楽しい出会いがありますように!!

ARTIST FILE|アーティストファイル

有福正志

Shot of Works

有福正志舞台「木の皿」 撮影・石川純

舞台「木の皿」 撮影・石川純